P12 〈一冊の本〉 『明日の食卓』椰月美智子著 角川文庫 2019年 680円(税別) 本研究所研究員 藤塚 千秋   (保健体育科教育学・健康教育学)  このようなことを書くと大学教員としての質を疑われるような気がしてならないが、10歳・4歳・1歳の3男児を手一杯の状況で育てる私にとって、読書は憧れの豊かな時間である一方、もはや生活のなかでは最も縁遠い時間でもある。したがって、本コーナーの寄稿を依頼されたときは正直言ってかなり困った。今回紹介する本は、2021年に映画化されたことがきっかけであらすじを知り、書店へ走り一気に読了した(できた)唯一の作品である。それももう3年前というのだから読書離れも甚だしいが、いまの私だからこそここに記してみてもよいのではないかと思い、再度手に取った次第である。  本書には、名の漢字は異なるが同姓同名の小学校3年生「石橋ユウ」とそれぞれの母親が登場する。専業主婦のあすみと優、フリーライターの留美子と悠宇、そしてシングルマザーの加奈と勇。彼女たちの家庭は三者三様で、その暮らしぶりもまったく異なる。しかし、子どもの学校生活や友人関係、ママ友内のトラブル、家庭に対する理解とやる気のない夫、親の介護など、次々と押し寄せてくる問題と闘いながら家事育児と仕事に追われる母たちの苦悩やいら立ちが詳細に語られ、それぞれの家庭環境から子をもつ親の直面する社会問題(本書においては児童虐待)が描かれている。  冒頭の壮絶な暴力シーンから、不穏で臨場感のある描写にページをめくる手が止まらなくなる。物語終盤、「イシバシユウ」という子どもが母親によって虐待死したという報道記事を目にしたときは、どの母親が「ユウ」を殺したのか胸が締め付けられる思いで読み進めた。それほど、物語の展開から目が離せなかった。  本書を読んだ当時、私の長男は物語の「ユウ」と同じ小学校3年生だった。ほんの些細な歯車のかけ違いで、転がり落ちるかのごとく生活が崩れ悪い方向に進んでいくさまはリアルな恐怖であった。と同時に、家族の問題に追い詰められているのは自分だけではないのだと、救われるような気持ちになってとめどなく涙がこぼれたのも事実である。夫婦関係も子どもも思うようには決してならない。愛しさと憎しみは表裏一体であると日々身をもって感じている私にとって、物語が「あなたはひとりじゃない」と代弁をしてくれているようにさえ感じた。そんな読者は少なくないのではなかろうか。  児童虐待のニュースは後を絶たない。本書は、日本の家庭が置かれている「危うさ」を、孤独や寂しさの向こう側にある「貧しさ」を、いま一度考えさせられる作品であると思う。 発行所 熊本学園大学付属社会福祉研究所     〒862-8680 熊本市中央区大江2-5-1 096-364-5161(代) 発行人 所長 仁科伸子  編集人 社会福祉研究所委員会 印刷所 コロニー印刷 096-353-1291